誰からともなく始まった 「水源に行こう!」
三原山・防衛道路入り口付近に親から弁当を持たされ集合したのは、うちら4人兄妹と兄の仲間たちの総勢10名ほどだった。
水の源流を求め、誰かの親がついてくるわけでもなく、学校の先生が引率するわけでもなく、幼い私の妹を連れて少年少女たちの大冒険が始まった。
八丈富士と違って、複雑極まりない三原山の中、一歩まちがえば全員行方不明になりかねない子供たちだけの子供たちがみずから計画した行軍が始まった。
はじめはまともな道を歩いてる筈だった。短いルートを選ぼうとしたのか、いつのまにか道を迷ってしまっていた。道なき道を歩き、水の配給の土管のはずだからここを辿ればいいのではないかと土管沿いに急な勾配を上がっていくことになった。
4歳ほどの幼き妹には当然きつくなる。
だがしかし、
幼いながらも
妹はけして泣くことをしなかったのを
私は覚えている。
しまいには
兄や仲間たちが交代で妹をおんぶすることになった。
おんぶしながら、
ただでさえ身にこたえていたろうに、
誰ひとり文句を言う人は出てこなかった。
こっちだ、あっちだと模索しながら
なんとかまともな道に出て、
目的の水源近くの水のある場所で昼食をとる。
記憶があいまいだが、
このあと、
私と妹を含む数名が残って、
残りの数名がこの先の水源まで行ってきたように思える。
道中、何事もなかったように無事に帰宅した時の親の顔は
「よくやった」と笑って迎えたのではないかと、
よく覚えてないが、そうであったにちがいない。
参加したメンバー全員、この時の経験は
大人になっておじさん、おばさんになってからもそれぞれの胸に深く刻まれ、のちのち、ずっと語り継がれることとなった。
この時の大冒険は、
確実に少年少女たちの思い出の宝物となったのである。
50数年前の スタンド・バイ・ミー