11月3日文化の日は 島内全小学校で運動会が同時に催されます。
歩いて5分の私の母校、大賀郷小学校をのぞいてみました。
お祝いの大漁旗が鮮やかに迎えてくれました。
人口が激減して生徒数も少なくなり、校庭が寂しくなりましたが、
子供たちの一生懸命に走る姿はいつ見ても心温まるものです。^^
午前中最後のプログラムは地区対抗リレー(部落対抗リレー)で、
選ばれた大人たちの総力あげての必死の走りで盛り上がります。
応援に駆け付ける人の数が最高潮に達する時間です。(^o^)/
そのあとにはお楽しみのお弁当♪
家族、親戚、他の家族が持ち寄りのお弁当を広げて
子供たちも一緒に和気あいあいで食べる楽しさは格別です。
この日ばかりは普段休みを取らないお店までも休業します。
今では鉄筋コンクリート建てですが、
私の時代の校舎は木造平屋建てが数棟あって渡り廊下でつながっていました。
正門を入ると、形の整った八丈富士を真正面に見られて誇りに思いましたが、
新校舎で半分以上が隠されてしまい泣いてしまったことがあります。
でも、今の生徒たちは教室から八丈富士を眺めているのでしょうね。
ぺこちゃん人形を引っ張る母、もんぺ姿に裸足で時代がわかりますね。
昭和35年くらい、もしくはそれ以前の時かもしれません。
向こう側には赤白に分かれた一方のチームの生徒たちと、
土手の上は見学の大人たちが陣取って座っています。
父をはじめ、焼酎を持ち込んで飲んべい仲間が集まっている場所でした。
仕事に励んでいる男の人たちもこの日ばかりは休んで楽しんでいたんですね。
昭和42~3年頃でしょうか。
女子生徒が提灯型のブルマーから短パンに変わってるので妹の世代です。
この数学年前までは
1クラス32人ほどで1学年3クラスあった時代もありました。
この写真よりももっと生徒数が多かったわけです。
鼓笛隊の姿もありますね。私の代はもっと大人数で組んでいました。
向こう側(正門方角)の土手にも大勢の見物客が座っています。
運動会の最後の演目は全校生徒のフォークダンス。
大きな輪が2重になるほど生徒数が多くありました。
今では、
新入生徒が1~2名となったりする坂上地区の小学校は合併を余儀なくされました。
さて、私の時代、運動会の後片付けが終る午後3時半頃、
大人たち、特に男の人たちには次の楽しみが待っていました。
青年団やOBたちの相撲大会が始まりました。
土俵はすでに用意されています。昔はさかんに相撲大会があったんですよ。
大きな行事を重ね合わせて年に一度の楽しみにしたのでしょう。
私は子供心に男の人のまわし姿に戸惑ったものです。(;^ω^)
時代の流れで、今では青年団も相撲大会もすっかり消滅状態です。
昼の行事が終ると… 今度は、
自治会ごと(部落ごと)、大人たちの夜の「飲み会」が待っていました。
今でも地域によっては執り行われているようですよ。
仕事を休んだついでにみんなで盛り上がろうとする意気込みはすごいものです。
つまり文化の日は子供も大人も島中が一大イベントの大事な日なのです。(^o^)